花見

桜が、毎年違う意味を持つ。



あの春、能「善知鳥」を観たあとで、近くにある京都御所でお花見をした。シテ(主役)を勤めた師匠は後からの合流で、やがて携帯電話から連絡が来た。
「どこらへんにおるんや?」
「近衛邸(跡)です。近くに来たら『うとうー』って言ってください。『やすかたー』って答えますから」



あの春、師匠と友人と後輩二人とで「細雪ごっこをした。みんなで着物を着て平安神宮に行って、瓢亭は無理だから細見美術館の下でシャンパンを飲んで、都踊りは見ないで木屋町で飲んだくれて、最後はいつもの店で酒に溺れてー。酒の記憶か花の記憶か。



師匠は予定していた小塩(桜の能)を舞わずに逝ってしまって、棺には温室咲きの桜が添えられて、私は「まだ一月だっつーの」と口汚く一人で怒っていた。



それからまた春が来て、また近衛邸跡でお花見をした。「ためしてガッテン!」のから揚げを作った。あのから揚げは手間はかかるけど最高だね。後輩も、友達も、笛の師匠もいて、とてもとても楽しかった。私は皆の前で言わなきゃいけないことがあって、前半ものすごくたくさん飲んで後が大変だったんだ。あれが、私の最後の京都の花見。



今年の花は鶴岡八幡宮で見た。
その模様はまたいずれ。今日は、あれから一ヶ月。鎌倉では宗教宗派を超えた、追善供養・復興祈願祭があった。舞殿にてお祓いを受ける僧侶や神父牧師、場に響く祝詞念仏賛美歌。数珠を握る人がお説教に涙する、祈りの場。