市場の出品物から

kohbundou2012-06-26

何日か前の「積読」に書いたように、二ヶ月に一度くらいの割合で、古書組合員に配信されるメールに文章を書かねばなりません。書き手はその日の市場に出品されていた物から題材を選びます。
一口に古書の市場と言っても、本以外に雑誌、書簡、絵画、おもちゃ、文書(もんじょ)、版木、首を傾げるような物まで出てきて様々です。
せっかくなので自分をここに掲載していきたいと思います。
(わーい、これで数日分埋まるぞー)



しかし三年前に書いた文の事など記憶がうっすらです。「なぜこんなものに興味を持ったんだ?」と思うようなときもあります。
この回は保土ヶ谷の酒屋さんの写真。この写真、ほしかったけれど落とせませんでした。悔しさが甦る文章です。


                        • -

私は学生時代に絵から酒文化を読み解く(主に近世初期から明治初期)作業をしていました。そんな私が今回注目したのは、「程ヶ谷 酒屋の写真」です。店員さんが店先に並び、軒先に掲げられた日本酒の看板や柱のビールの掛け看板もはっきりと見えます。 この中山孝七商店は、残念ながら「横浜酒販雑記」「保土ヶ谷区誌」をあたっても名前はありません。
日本酒の看板にはまず「千福」があります。「千福いっぱいいかがです」というコマーシャルソングで知られた呉の酒です。次の「春興」は不明、灘の「金盃菊正宗」(菊正宗とは別の酒)、そして讃岐の「金陵」、伏見の「参拝」と続きます。千福の東京支店創設は昭和六年。金陵は昭和九年頃に販路を東京にも拡大しました。
ビールの看板に目を転じますと、キリン・ユニオン・サクラの三銘柄が売られています。この三つが同時にあること、量り売りだけでなく一升瓶も並んでいること、そして売られている日本酒の銘柄から考えると、この写真が撮られたと考えられるのは昭和十年頃だと言えるでしょう。
それにしても当時の保土ヶ谷で宣伝されていた酒が、江戸の頃から下り酒としてもてはやされた大手酒造のものではなく、「千福」「金陵」「金盃」(これらは現在も存在します)というのが日本酒好きとしては大変興味深いです。東海道線(戦前の保土ヶ谷駅は東海道線の駅でした)という輸送ラインの存在も考える必要があります。かつて「金盃」の樽酒を飲ませる店が横浜駅の近くにあったそうですが、この酒屋の存在と何か関連があったのかもしれません。
写真一枚から得られる情報は断片に過ぎませんが、いくつか集ると自分では想像もしなかったものが見えてきます。予期せぬことと繋がることもあります。いつか商売にも結びつくよう頭の引き出しにしまって、今宵も一献傾けることにいたしましょう。
__________________
【参考図書】「横浜酒販雑記」「保土ヶ谷区誌」