夏の思い出それぞれ

kohbundou2010-08-04

 オイルショック後の横浜生まれ横浜育ちですが、子供の頃は五右衛門風呂に入っていました。囲炉裏を「リフォーム」した掘り炬燵がありました。雑巾がけ競争が出来る程度には長い縁側がありました。木製の雨戸が何枚もあって、台風が来たときに木を打ち付けていました。縁側の下には蟻地獄がたくさんありました。庭に納屋が二棟ありました。裏に竈がありました。井戸は埋めてありました。夏は朝起きると台所の胡瓜にコクワガタがはりついていたりしました。もう一度言いますが、横浜市内の昭和五十年代のお話です。
 私の能の師匠は家の中に能舞台があったので、小学校に上がるまでどの家にも舞台があると信じていたそうです。子供はどうしても自分の家が基準になってしまいます。私は生まれて初めて「団地」に入ったときの驚きを今も忘れられません。お手洗い以外にドアノブがあることの衝撃。何よりも綺麗さ。そして、狭さ。
 最近では話のネタにしている子供の頃の生活ですが、最近久しぶりに「団地」以来の衝撃がありました。それは蚊帳作りの職人さんがラジオに出ていたときのこと。今の生活に会わせた大きさや形の蚊帳を作っていて、ベッド用のものやペット用のものまであるのだそうです。
「蚊帳って結構重いものね」
そう千葉育ちの従業員T君に話しかけましたところ、私より六年も早く生まれてきたこの男、なんと蚊帳を使ったことがないと言い出しました。ショックをうけた私は周りへの調査を開始いたしましたが、蚊帳の経験者は一人もいませんでした。
 緩く張ってもらって上にボールを乗せて下から蹴って遊ぶとか、蚊帳の中に蛍を放すとか、蚊帳をしまうのにぐずぐずしていたら簀巻きにされちゃったとか、私がこの思い出を「あったあった」と笑いながら共有できるのはいったいどの年代の人なのでしょうか。 しかも妹は「忘れちゃった」ですって。