市場の出品から3

能のチケットも人気の舞台は取りにくいものです。
この時代は能より歌舞伎だったんでしょうね。

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 予期せぬものが予期せぬ所に入っているのは市場ではよくあることで、本口の中に貴重な冊子が挟まっていたり、本の中に手紙が入っていたり、○○一括の中に全く関係のない書類が混ざっていたりします。
先日私が落札した「マッチ一括」の一箱には、上野付近の喫茶店マッチと一緒に「月報プレイガイド」(プレイガイド社)がありました。昭和十四年の六月号です。一辺が約四十センチの正方形で、表側にはカラーで都内約三十館分の公演予定が書かれています。東宝小劇場では東宝名人会が、軍人会館では東京大学英語劇大会が、国際劇場では松竹少女歌劇団、基督教女子会館ではギータラ独奏会、蚕糸会館では劇壇演技座、飛行館では文学座試演、築地小劇場明治神宮プールの水球リーグ戦のチケットだって扱い、屋形船だって旅行だって大島旅行だってプレイガイド社が手配してくれます。山手線沿線ならばご自宅までお届け、営業所も丸ノ内、上野、新宿、渋谷、神田、横浜等々。裏を見れば本山荻舟や石井漠が舞台の感想等を書いていました。
ところでこの「プレイガイド」とはいつからあるのでしょうか。速水建夫著の「近世事物起源考」(昭和四十三年・魚住書店)には、プレイガイドとは「大正十年に松竹合名会社が直営劇場の切符を取次販売したのがはじまり」と書かれています。松竹は当時からいくつかの劇場や映画館を持っていました。また「プレイガイド」とは和製英語です。言葉を作ったのが誰だかは分かりませんが、「プレイガイド社」がその名前を定着させた可能性は高いと考えられます。
昭和五年あたりの歌舞伎のパンフレットには「お求めはプレイガイドへ」とあり、もうその頃には松竹系列だけを取り扱う「プレイガイド」から様々を扱う「プレイガイド社」に移行していたようです。
 昭和十四年はノモンハン事件が起こり、第二次世界大戦が起こり、翌年には「贅沢は敵だ」という標語が全国に広まってゆきました。この「月報プレイガイド」はいつまで発行され、どのように消えていったのでしょうか。その流れから戦前の東京を知るのも面白いと思います。
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【参考図書】「近世事物起原考」、戦前の歌舞伎パンフレットをいくつか