市場の出品から6

全国古書籍商組合連合会加盟店で、東京組合からの同報メールを受信されている古本屋に向けた、市会の報告メールの文章です。私のいる明治古典会では現在十人の経営員が交代で出品された本について書いています。
今回掲載するのは私が書いた中で一番反響の大きかったもので、自分でもとても気に入っているのですが、提出するときは却下されるのではないかとドキドキしました。私はこれを書くために四年間まじめな文章を書き続けてきたのです!(嘘です)
お題は、「川上宗薫」。



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あたし、古本屋なんです。
いつも明治古典会にはびっくりするような本や本以外のものが出品されるけれど、今回は、いつもと違う意味で驚いてしまったんです。
だって、川上宗薫の著作だけが、縛り十四本口で出品されたんです。あたし、ジュン、と汗を滲ませてしまった。
川上センセと言えば、宇能鴻一郎と並ぶ純文学出身の官能小説家だけど、「鯨神」で芥川賞を受賞した宇能センセとは、ちょっと違うんじゃないかしら。
近代文学に詳しいセンパイに聞いたら、「私が知るなかでもっとも芥川賞を逃した作家かもしれない」なんて言う。
そこで、あたし、ガゼン興味を持ってしまったんです。
川上センセは大正十三年生まれ。
牧師の家庭で育ち、長崎の原爆でお母様と妹さん二人を亡くされ、戦後は英語教師をしながら同人活動をして、北原武夫に師事。昭和二十九年に最初の芥川賞候補。そこから六年にわたって五回も候補に挙がるんです。
ところがその五回の受賞者が吉行淳之介小島信夫庄野潤三遠藤周作、受賞なし、北杜夫、間には石原慎太郎開高健大江健三郎がいるくらいだから、その後のセンセの文壇生活を暗示していのかもしれない。
しかも、自分が編集者に紹介した友人の水上勉が先に文壇で認められた上に直木賞を取ってしまって、水上を小説の中でそれと分かるように誹謗したものだから、もう、大変。裁判沙汰になりかけて、執筆依頼がこなくなったんです。それで、川上センセ、食べるために、官能小説を書き始めたというんです。
三島由紀夫の死を以て純文学から官能小説に転向したけれど、書きたい事はずっと変わっていないという、宇能センセとはだいぶ違うみたい。
川上センセは、エロ小説を軽蔑していたし、金のための仕事だって、私小説に書いてる。
でも、もちろん、あたし、この言葉を信じたりしないんです。だって、川上センセの取材はスゴイらしくて。小説の中身はすべて実体験だというんです。つまり、あの、十四本口の一冊一冊が、一人一人の、女の、カラダ。それに、小説の中ではよく女が失神するけど、そんなこと、信じられない。
文壇に名を揚げたかった川上宗薫センセ。でも、これはこれで、いい作家生活だったんじゃないかしら。だって十四本分も著作を集めたファンがいて、没後二十五年以上経った今、それなりの価格で落札されていったんですもの。



※縛り=運搬用に本を縛ったもの。たいてい一本は四十から四十五センチ分。
※実際の芥川賞最多候補は阿部昭島田雅彦の六回




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これを書いた数週間後、市場に宇能鴻一郎の草稿が出品されていたのですが、入札しませんでした。後悔しております。